第5回 「相模台団地の桜並木」

 

日本の人口が1億人を突破したのは昭和41年。日本人の誰もが中流意識に目覚め新三種の神器(カラーテレビ、クーラー、カー)を追い求めていた時代に、相模原市の広大な平坦地を求めて大都会、東京方面より人口がどっと流入してきました。

相模台地区も急激な宅地開発が始まり、鶴ケ丘団地、相武台団地などの大型団地が次々と誕生。中でも高度経済成長の真っただ中の昭和41年、国立相模原病院(当時名称)に隣接した「相模台団地」は立地の良さもあり、サラリーマンのあこがれの文化住宅として入居者でいっぱいとなりました。広々とした敷地に各棟はゆとりを持って建てられ、相模台地区にも新しい時代が始まる予感を感じさせました。

相模台団地桜並木1  ◆相模台団地桜並木-1 相模台団地桜並木2 ◆相模台団地内桜並木-2

47年間が経った今、団地の周辺に植えられた苗木たちも立派に育ち、広い相模台地区の中でもひときわ緑豊かな地域へと生まれ変わりました。団地と団地の間を貫通する市道の両脇に並ぶ桜並木は、50年近い歳月がもたらす古木の面影を感じさせ、毎年、満開の時期には見事な桜色のトンネルが長さ約300メートルに渡って続きます。この桜並木は近隣の隠れた桜の名所として知られ、「広報さがみはら」の桜の「見どころ特集」にもしばしば紹介されるほどです。隣接の相模台公園の芝生広場にはお弁当を広げる家族連れの姿も数多く見られます。

相模台団地八重桜 ◆相模台団地八重桜-3 相模台地区調査7相模台団地3 ◆相模台団地桜が散った後-4

ソメイヨシノの花びらがひらひらと舞い落ちる頃には、今度は並木の途中に設けられた一群れの八重桜が入れ替わるように咲き始め、華やかな『桜通り』と呼んでもよい眺めが道往く近隣の人々を長い間に渡って楽しませてくれます。


【写真&テキスト/相模台6丁目 猪俣 達夫】

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