第8回 「麻溝台地区の昔々」 No.3
※「麻溝台地区の昔々」については連続読物となっています。初めて読まれる方は、「麻溝台地区の昔々」No.1からお読みいただけると分かりやすいと思います。
<たまご街道>
・麻溝台五丁目、六丁目には昭和37年頃(1962)より、京阪地区から広い場所を求めて養鶏業者が移って来ました。昭和が終わる頃までの永い間、旧タイプの鶏舎から発生する悪臭に周辺の人たちは悩まされていましたが、その後、飼料、鶏舎等々の改良が進み今は昔語りになっています。
・麻溝台地区も周辺の地域と同様に畑作地がモダンな住宅地へと、次々に生まれ変わり大きな都市化の波に押されていますが、大規模経営による養鶏場が今も一帯に何カ所も残っており、他地区には見られない独特の風景をつくりだしています。この養鶏場から毎朝採れる新鮮な玉子を販売する直営店も数軒、市道沿いに店を出し、遠方よりクルマでわざわざ買い求めに来るファンも数多くいます。
また中には採れたての卵を使った料理や、プリンなどお菓子を出す直営レストランも数店オープン。経営者たちが集まり、この道を近年「たまご街道」と称し、新たな「地域起こし」をはかっています。
(写真17:今も残る大規模養鶏場-1) (写真18:今も残る大規模養鶏場-2)
(写真19:たまご街道の様子) (写真20:たまご街道と地卵を使ったレストラン)
(写真21:売店の後ろにオープンしたレストラン) (写真22:売店の角にある、たまご自販機)
◆資料出典:「麻溝台地区の生い立ち」麻溝台地区郷土史編纂委員会、他
【写真&テキスト/相模台6丁目 猪俣 達夫】
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