第3回「さがみの仲よし小道」
相模台3丁目から新磯野までの住宅地の中を縫うように、散策に格好の道が通っています。
この道は戦後まもなくに出来た「畑地灌漑用水路」の跡をコンクリートで覆って市民の散策路として整備したもので、現在は「さがみの仲よし小道」と呼ばれて生活道路、散歩道として地域の人たちに親しまれています。散策路の両側には市民ボランティアの協力で季節の花々や果樹などが植えられ、歩いて楽しい道がどこまでも続いています。
■左写真1:相模台4丁目付近の仲よし小道 ■右写真2:相模台5丁目付近の仲よし小道
かつて、この地域は相模原台地の一角として広大な畑と原野が広がっていました。台地という地形上、水が無かったために土壌がやせており、作物の育ちが悪い土地でした。陸稲もうまく育たずサツマイモが主な産物でした。「この広大な農地に水があれば!」の願いを実現させるために、昭和23年に「相模原開発畑地灌漑計画」が起こり、翌年の昭和24年事業が着工されました。昭和39年までの16年間をかけ、畑に水を引くための水路施設を建設しました。その当時は幅2メートル余りの水路をとうとうと水が流れ、畑地を潤していたそうです。
■左写真3:新磯野付近に残された石積みの用水路跡地 ■右写真4:新磯野付近に残された用水路の水門跡
しかし、その後相模原台地は東京近郊に位置した広大で平坦な立地条件に恵まれていたこともあり、農地は次々とめざましい市街地開発の住宅用地としてその姿を変え、大事業として始められた農業用水路はわずか16年という短い役割を終えて、今では緑道と子供広場などの市民の憩いの場としてその姿を変えました。相模台地区は3、6キロメートルの長さに整備されていますが、新磯野地区にはまだ未整備の箇所が残り、所々に小さな水門跡や放置されたまま残された空堀のままの往時の水路跡を見ることが出来ます。
【写真&テキスト/相模台6丁目 猪俣 達夫】
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