相模台地区にはこんな歴史が
ちょっと寄り道・・・
相模台地区には昔からちょっと寄ってみたくなるような散歩道がいくつかあるのをご存知ですか?
これから何回かに渡って、このページの中で、歩いてみたくなる「寄り道」を紹介していきましょう。その「寄り道」にはそれなりの「歴史」を垣間みることも出来ます。
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『第1回 横浜水道みち』
本当の名前は「横浜水道道緑道」
(よこはま・すいどうみち・りょくどう)と言います。地元では「水道みち」で充分通じます。やたらと「道」という字がいくつもついていますね。なにやら由緒のありそうな名前がします。
それもその筈、相模川上流の水を横浜市内まで飲料水の水道管を引いてしまおう—という壮大な計画かが明治18年に持ち上がり、なんと、その2年後の明治20年には配水が開始されたという驚異的なスピードで横浜水道が完成。
津久井の山奥から横浜市まで標高差約74メートルを水が自然流下。
大人がかがんで通れるような巨大な鋼管が4本(その内1本は予備)も地中に埋まっています。 相模川の水を横浜市の野毛山浄水場まで、約44キロメートルの長旅を24時間休むことなく送り続けています。
こんな大きな物が埋まっている水道みちの幅は,広いところでは約20メートルもあります。今は市民の気持ちのよい 散歩道として整備されています。相模台地区の中を長さ4キロメートルに渡って定規で引いたように真っすぐな緑道が相模川方向西側から東側の南台3丁目方向へと延びています。
通行路の役割だけでなく、子供を連れての散歩、愛犬をお供にしたメタボ解消のウォーキング、そして 格好のジョギングコースと、この地域の様々な人たちが今日も水道みちを楽しんでいます。
【写真&テキスト/相模台6丁目 猪俣 達夫】
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