第13回 「相模台地区の今と昔 <まち歩きマップ>」を開いてみよう  No.2

 

『ちょっと寄り道、相模台地区にはこんな歴史が—』
第13回 「相模台地区の今と昔 <まち歩きマップ>」を開いてみよう  No.2 (※第12回目の続編です)

<各見どころを見る前に、「相模台地区の移り変わり」の予備知識を―>

◆このまちは、まだ歴史の浅いまち。人が生活するようになったのは明治の始め。それまでは原野の続く「相模野台地」。先人たちは開墾を重ね畑作地に。
◆昭和になって突然一大変化が。それが相模原市の「軍都計画」。新磯野、麻溝にまたがる広大な農地、山林が軍の施設に。
◆戦後、この跡地が第二の開墾地としてよみがえり、やがて高度経済成長時代を迎えて、新たな農地は東京近郊の一大住宅地、公団住宅に。人口急増とともに再開発を重ね、今日の新しいまちに—。

見開き絵地図
写真3・絵地図

<今回は「まち歩きマップ」見開きページの3ページ、4ページ『麻溝台周辺のまち歩き』を見て行きましょう> ※今号からご覧になる方は、前号 <No.12> に一度目を通していただくと「麻溝台周辺」のことが、よりわかりやすくなります。

<麻溝台周辺のまち歩き>ページ ※中を開いたところ
写真5・麻溝台周辺のまち歩き

 

14.麻溝台工業団地 (麻溝台一丁目)写真20麻溝台工業団地
 1955( 昭和30) 年、市の「工場誘致条例」に沿って、1970( 昭和40 年代) 年代、麻溝台工業団地に自動車メーカーの部品工場や精密機械工場が進出しました。2014( 平成26) 年、圏央道相模原愛川IC(インターチェンジ)開通に伴い工業団地内に巨大な倉庫群が建ち始め、工業団地にも新しい変化が起きています。

 

15.北里大学東病院(医療施設に付き説明は省略)

16.南部粗大ゴミ受入れ施設(公共施設に付き説明は省略)

マップ用画像2117.麻溝台地区の養鶏場、酪農場 (麻溝台二丁目〜五丁目)No.17養鶏場
1962( 昭和37) 年ごろから開拓した土地の売却が国から許可されると、横浜や川崎の養鶏家が広大な土地を求めて次々と進出、一帯は大規模経営の養鶏場となりました。近年では道路沿いに「たまご街道」と書かれたのぼりを立てた直売所を出ししています。また、同地区には今でも乳牛を飼っている酪農家も数軒残っています。

18.木もれびの森 (麻溝台三丁目〜四丁目)
マップ画像23マップ用画像22「相模原近郊緑地特別保全地区」に指定された森で麻溝台・大野台・大沼地区に広がる0.73平方キロメートルの面積を持つクヌギ、コナラが主な樹林地です。多種にわたる植物、昆虫、小動物が生息しています。この森は江戸時代より薪(まき)や炭、肥料や燃料として人々の生活と密接な関わりを持っていました。近年では森林浴、ウォーキングなどの緑地として見直されています。

19.源悟山 顕正寺 (麻溝台五丁目) 顕正寺全景24
このお寺は、麻溝台地区に入植した開拓者たちが心のよりどころとして1949( 昭和24) 年、下溝村より移転し、正式に日蓮宗の寺院となりました。立派な本堂は1992( 平成4) 年に建て替えられ、毎年お会式(おえしき)を初め数々の行事が行われ多くの参拝者が訪れています。

 

20.陸士標石 (麻溝台七丁目)マップ用画像25
かつて相模原市が1936〜1945( 昭和11〜昭和20) 年、軍都時代であったころ麻溝台地区一体が、相武台陸軍士官学校(陸士)演習場の一部であったことを示す小さな標石が、麻溝台自治会館前の住宅地角(かど)に残されています。

 

 

 

 

21.麻溝台開拓記念碑 (麻溝台六丁目)マップ用画像26
1946( 昭和21) 年、満州開拓団からの引揚者を中心に水道、電気もない陸軍士官学校演習場跡地に入植。開墾、農作物の生産活動に励む開拓民の団結をはかるため協同組合を結成しました。1980( 昭和55) 年、地域の発展に尽くした人々の開拓精神を顕彰するため、記念碑を開拓広場(現・自治会館広場)に建立しました。

 

 

 

22.溝上(みぞがみ)開拓記念碑マップ用画像27
(麻溝台七丁目) 1948( 昭和23) 年、下溝村から入植した開拓者たちは、溝上(みぞがみ)共同組合を結成し、麻溝台協同組合と東西に隣接して麻溝台地区の中心集落を形成。1997( 平成9) 年、開拓50 周年を記念して記念碑を建立しました。

 

23.横浜水道みち緑道 (南台一丁目〜麻溝台)マップ用画像28
1887( 明治20) 年、我が国最初の近代水道として敷設(ふせつ)されました。津久井道志川と相模川の合流点から横浜野毛山浄水場まで44 キロメートル、標高差74 メートルを自然流下方式で現在も運んでいます。この水道みちの上を緑道として整備し、散策路、生活道路の一部として市民に利用されています。

 

24.トロッコ道案内板 (地名標柱) (麻溝台)マップ用画像29
横浜水道みちは全行程44kmの長丁場。敷設するに当たってはトロッコの力を最大限に借りて造られた大掛かりな工事でした。この「水道みちトロッコの歴史」の案内板は津久井の三井(みい)用水取入所から18kmの場所にあたる女子美術大学脇に立てられています。

 

 

25.市立麻溝台保育園 (麻溝台六丁目)マップ用画像30
1953( 昭和28) 年、地区の開拓者たちが子どもを預けて安心して作業ができるように、開墾地の一部を保育園用地として相模原町(当時)に寄贈。公立では全国で2 番目、町立では初の施設として開園しました。

 

26.麻溝台分校記念碑 (麻溝台八丁目)
マップ用画像32マップ用画像31昭和20 年代初めの頃、麻溝台地区の多くの小学生は遠く離れた小学校に通学していました。不便で危険なため入植者たちが県と町に働きかけ1949( 昭和24) 年、水道みちの脇に分校を開設しました。1959( 昭和34) 年、相模台小学校の開校に伴いわずか10 年間で廃校となりました。1994( 平成6) 年、分校があったことを記念して跡地に碑が建立されました。

27.相模原麻溝公園/県立相模原公園(公共施設に付き説明は省略)

28.南清掃工場/市民健康文化センター(公共施設に付き説明は省略)

29.市立総合体育館(公共施設に付き説明は省略)

【写真&テキスト/相模台6丁目 猪俣 達夫】

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